院長プロフィール

根底にあるのは、「人の役に立ちたい」という想いです。
院長写真
院長 勝間田 裕樹はじめまして。

かつまた整体院・院長の
勝間田 裕樹」と申します。

当店へお越しの際にはリラックスをして施術を受けて頂きたいと考えております。

そのためには施術者の人となりがお分かりになると、ご安心いただけるのではないかと思います。

私のプロフィールを書きましたので、お時間のある時に少し読んでいただければ幸いです。

ニックネームいんちょう、かつまたのおじさん
出身地神奈川県川崎市川崎区
趣味治療研究、読書、格闘技観戦
特技ものまね、動作分析、怖い話
休日の過ごし方奥さんと買い物、お酒を飲む、ジョギング
好きな食べ物からかげ、お刺身、ラーメン二郎、いも焼酎
好きな動物猫、カピパラ
好きなスポーツ格闘技全般
好きなTV番組吉田類の酒場放浪記、ガイアの夜明け、アメトーク
好きな街緑がある街
よく聞く音楽歌謡曲
宝物家族、今までの経験とこれからの挑戦
今ハマっているもの筋トレ、ラーメン
興味のあるものカポエラ
尊敬する人ジャッキーチェン

かつまた整体院の開業までの歩み

少年期

こんな赤ちゃんでした

私は神奈川県横浜市旭区で生まれました。

3歳で川崎市川崎区京町というところに引っ越しをしました。
小学生のころの私のヒーローは、ズバリ「ジャッキー・チェン」です。

ある日どうやったらジャッキーになれるか、小学4年の勝間田少年は考えていました。

勝間田少年の思考 Jump is Everything!!/整体との出会いです

そう思い立ち忍者の本に書いてあった、「毎日小さな木を飛び越えるとその木が成長していくにつれ必然的に自分のジャンプ力も上がっていく」という

非常に理論的(?)なことが書いてあったことを思い出し、人気者になりたい一心で本当に毎日がんばっていました。

しかし、ある日。着地をした瞬間、足首が内返しで捻じれて「ポキッ!」と嫌な音がなりました。

その後は激痛!!!!
今まで経験したことのない激痛で、しばらくすると物凄く腫れだしたので、近所の接骨院へ行きました。これが接骨院デビューになります。

骨は折れていませんでしたが、内返しのねんざでしたので治療して頂きました。このとき、治療を受けながら「こんな仕事があるんだぁ。人の役に立てて自分もこうなりたいなぁ」と漠然と考えていました。

その後も左足のオスグットでお世話になったり、左手首を骨折したり、今度は右足のオスグットを発症したりで接骨院、病院には大変お世話になりました。

青年期

職を転々とする日々でした/このままではいけない!

横浜市内のコンピュータ関係の専門学校を卒業して、プログラマーとして働いておりましたが、仕事が嫌になるとすぐに辞めたり、適当に働いたりを繰り返し、将来の目標などまったく無く、その日が楽しければいいや、という考えでおりました。

そんな時に、父親が脳血栓で倒れてしまうということが起きました。

「左半身がシビレて全然動かない。」という訴えに、医学の知識が当時まったく無かった私は、ただとまどうばかりでした。

家族のために黙々と働いてくれていた父親が倒れてしまったのは、能天気な自分でも正直ショックでした。

ベットに寝ている父を見ていて、両親だっていつまでも元気ではないという現実や、中途半端な考えで生きている今の自分をどうにかして変えなければと考えるようになっていきました。

開業期

勉強の毎日です/多くの人に支えられ、念願の開業!

「人の役に立って、活躍する仕事がしたい」と思い一念発起して、都内の整骨院グループに入社をして、1から仕事を教わりました。

日中は整骨院の手伝いで、夕方から専門学校へ通う日々でした。夜中までたくさん勉強や練習をしましたが、自分がやりたかったことなのでとても楽しかったです。

最初のころは患者さんの質問が答えられない事が多かったのですが、経験を積んでいく事で少しずつお役に立てることが多くなりました。

また、様々な治療セミナーに出席して技術を習得していく事で、今まで対応できなかった症状にも対応できるようになり患者さんに楽になって笑って頂けると、「頑張ってきてよかったなぁ」としみじみと思います。

後に分院長を任せていただくことにもなり、非常にたくさんの方との出会いや経験をさせていただく事ができました。

そして平成27年8月に台東区元浅草で整体院を開業させて頂くことができました。

20代はのらりくらり生きてきて、30代はこの仕事を懸命に覚えて、40代はさらに研鑽して行きつつ、これまでの経験を生かして皆様のお役に立てるように精進いたします。

辛い痛み、解決しない悩みをお抱えの方にこそかつまた整体院にお越し頂き、お役に立てればと考えております。